
これまでの3回の記事においては、『KIN―マイコシーン』がアートブックであるべき理由や物語を語る意義、世界観の構築、ストーリーデザインなど、それぞれのプロセスを紹介してきました。今回は生態環境や建築物といった、いわゆる背景に描かれる世界のデザインやビジュアル表現について、さらに踏み込んでいきたいと考えています。
新しいユニバースを生み出すにあたり、創造活動の根幹を成すものがコンセプトアートです。映画やゲームなど様々なプロジェクトを手掛けてきたジャングルクロウ・スタジオのメンバーたちは、これまでコンセプトアーティストと一緒に仕事をしたり、時には自分自身がコンセプトアーティストとして作品作りに関わってきました。コンセプトアートとは、いまだ誰も見たことがなく形にもなっていないアイデアを、ビジュアルとして描き出す作業です。それは作品作りのベースとなり、大道具や小道具、キャラクター衣装などの指針となります。『KIN―マイコシーン』であればイラストを描くその礎といえます。
「ロッテンプラネット」(腐った星)の視覚言語化
『KIN』ユニバースは、以下のような世界観で構築されています。
物語の舞台は、2161年の地球である。
200年以上にわたる環境破壊と温暖化は、気候変動や海面水位の上昇など地球規模で変化をもたらし、それは様々な大災害へとつながっていった。
2059年、電磁波を餌とする菌が発生。急激に進化するその菌は、世界的なパンデミック「ワイヤレス感染症」(Wi-Flu)を引き起こした。
このパンデミックにより、グローバル化したサイバーパンク社会はわずか2年間で崩壊。人類はほぼ全滅の危機に瀕してしまった。
パンデミックの犠牲は人類にとどまらず、動物や植物までもが、地球上からほとんど姿を消してしまった。
打ち捨てられた死骸を餌に菌類やバクテリアが繁殖。今や、彼らこそが地球の支配者となった。
人類は「ワイヤレス感染症」(Wi-Flu)を遺伝子工学によって制しようとしたが、その試みは失敗に終わった。しかも人為的に変異した遺伝子はその他の菌類にも伝播し、菌類の進化速度が加速していった。
そのような世界であっても、僅かな人類の生き残りたちが21世紀の情報技術とバイオテクノロジーにしがみつき、100年以上も太平洋をさまよっている。
その一方、大地の上では、新たな環境に適応した人類もいる。
この世界設定をもとに、私たちは思いつく限りの参考資料を探しました。日本のブルータリズム建築、廃墟の街、自然災害、バイオ機器、菌、バクテリア、その環境...。
「沿岸」
腐りはてた地球は、いったいどのような姿をしているのか。私たちは、作品の大きなモチーフである海面上昇を踏まえ、積み重なった菌類の層に覆われ、海の中に沈んでしまった海岸都市を描くことにしました。『KIN』ユニバースをより具体的に、正確にイメージするため、まずは先行実験として取り組んでみたのです。この最初に選んだコンセプトは、クラウス・ピヨン氏の力もあって、その後のワークフローやデザイン、アートスタイルの問題を解決するのに役立ちました。

手探りで、実験的なラフスケッチを何度か試した後、VR造形ツール「Medium」を使って最初のイメージづくりに取り組みました。「Medium」は有機的な菌の塊を作るには最適なツールでしたが、硬質で直線的な建築物をモデリングする作業にはふさわしくありません。しかしこの都市は、100年もの長い時間をかけて菌類に侵され、腐食してしまった世界です。この一枚ではそのまま建物も「Medium」で形作ることにしました。

「Octane Render」で構図を決定しレンダリングした後は、当然ながら大量のキノコを描くことになりました。リアリティがあると同時に奇妙で異質な世界を描きたいと考えていた私たちは、ふさわしいと思われる参考資料から菌類をピックアップしてシェイプを切り抜き、以降のコンセプトアートでも流用できるライブラリを作成しました。
そのあと、作業工程は「Photoshop」による2D作業に進みます。様々な大きさや形状、質感をもつ菌類たちを、バランスよくキャンバス上に配置し、適切に組み合わせ、まとまった一つの世界を描き出そうとしたのです。菌類という有機的な要素にドミナントカラー(同じ色相で統一し、トーンで変化をつける配色)を設定して、全体に統一感を生み出しつつ、細かいディテールには逆に補色を足すことでアクセントを加えていきました。現実世界のキノコたちから作成したカラーパレットが、ここでは大いに参考となりました。

ペインティングの工程では、3Dでレンダリングした部分とフォトバッシュ(切り抜いた写真素材などを貼り付ける作業)で2Dで構成した部分、この二つをなじませる必要がありました。特に輪郭をなじませることは重要でした。これによって異物が入り混じった世界において、異質なもの同士の「対比」と「遷移」を描き出すことができ、私たちが表現したかった「生命の網目模様」の印象が強まりました。
環境の反復
完成した「沿岸」のイメージをベンチマークとし、多数の簡易なバリュースケッチ(白黒のみで行う模写)を描いて、『KIN』ユニバースを描く視覚的文法を探っていきました。

菌類と人工的な構造物を組み合わせたデザインはどうあるべきか。試行錯誤を繰り返す中で、私たちはひとつの結論にいたりました。従来のイメージにとらわれることなく新たな世界を描くためには、キノコらしさの象徴である傘や柄を最小限にするべきだと気づいたのです。
わたしたちはこの結論にそって最初のコンセプトを発展させ、『KIN』の世界におけるデザインの視覚的文法をまとめることができました。
「ラフト」
主人公たちの旅の始まりとなる拠点が、海洋上のバイオテクノロジー研究施設「ラフト」です。滅びた人類文明の最後の残滓であり、かつてとは比べ物にならないほどの小規模ではありますが現代社会に必要なインフラを備え、人々が生き延びるための最後の拠り所です。この「ラフト」のアイデアは、劇中の建築物やテクノロジーといった要素を描き出すため格好の舞台装置となりました。

「ラフト」の主要な船体構造は、海洋プラント設備などの輸送に用いられる半潜水型の重量物運搬船 (1) からヒントを得ています。この研究施設は、人類が生き残るため、自己完結型の機能を備えています。近年の水耕栽培や海上都市計画を参考としながら、「ラフト」に必要な設備や構造物を配置していきました。

「ラフト」の基本デザインをまとめた後、続いて白黒の線画によるスケッチによって緊急時の防衛システムをデザインしていきます。人口構造物の3Dデザインというこの工程では、「Blender」を用いてモデリングしました。Jama Jurabaev氏が公開しているディスプレイスメントマップ (2) を用いることで、大きなスケールであっても、細かなディテールを素早く施すことが可能となりました。さらに「Photoshop」によるフォトバッシュやオーバーペイントによって細かい描画を描き加えたり、経年劣化の表現を施すことで、人工的で直線的な構造の複合体を描き出していったのです。

人工的で無機質な印象とテクノロジー感を表現するために、目立ちやすい赤を配色しました。赤は、実際の工業施設においても危険を意味するために使われる色です。同時に、現実のバイオテクノロジーは、複数のサブフィールドを色で分類しています。このサブフィールドで赤に分類されるものは「遺伝子治療(...)、幹細胞研究(...)、遺伝子工学(...)、新薬やワクチンの開発などの技術」(3) といった分野であり、「ラフト」に生き残った研究者たちが船内で行う研究のイメージにぴったりでした。
ホ区都
「ラフト」に続いてデザインに取り組んだのは、『KIN』ユニバースにおける重要な国際都市「ホ区都」でした。この都市は、パンデミック後に生まれた共同体「NEAAF」(「ニアフ」北東アジア諸島連邦)の設立後、海面上昇による日本の国土の寸断や、東京の水没を受けて、北海道への首都機能移転を背景とした都市です。巨大な防潮堤によって守られ、急速に建設されたこの街は、「沿岸」で描き出した有機的なビジュアルコンセプトと、「ラフト」の人工的なデザインを融合させて描き出しました。

「沿岸」や「ラフト」の経験を経て、この「ホ区都」に取り組んだころには、私たちのデザイン制作フローはほぼ出来上がっていました。まずは下絵を描き、次に「Blender」で3DCGによるベースを作ります。それを2Dのビジュアルとしてエクスポートして「Photoshop」上に移行し、フォトバッシュの技法を加え、その上からペイントしていくことで、思い描くイメージを描き出すというやり方です。
この「ホ区都」のデザインコンセプトにおいては、建築物の多くに「Kitbash」の3Dアセット (4) を採用しました。3Dアセットを用いることで工程を効率化しつつ、パンデミックによって都市が滅んでいくまでの過程が伝わるようなデザインに注力していったのです。

そのように作り上げていったコンセプトアートですが、これは決して絶対的なものではありません。プロジェクトの後半になっても、物語に必要であれば、勇気をもってデザインを変更したり修正したりすることも重要です。アートブックにも収録されていますが、最終的な「ホ区都」のデザインは初期のコンセプトアートからいくつかの変更が加えられています。
広大な「ありのままの世界」
これら二つのデザインも、『KIN』ユニバースを語る重要なコンセプトアートです。世界に何が起こっているのか、それは生き残った人々にはどのように見えているのか。他のデザインコンセプトと同様、物語を支えるバックストーリーを作り上げていくのに重要な役割を果たしました。

ジャンクションを描いたこのコンセプトアートでは、菌糸を伸ばした菌類がはびこる様子がひと目で伝わるデザインを目指しました。数を減らし、姿を見ることさえ稀となってしまった人類と動物たち、一方で進化し続ける菌類。新たな地球の異質な環境で、異なる種がお互いにどのように関りあっているのか、その生態環境を描こうとしたのです。

「塚」は、この世界に適応した新たな人類が暮らす住居の姿を思い描いたものです。先端テクノロジーを失った人類は、素朴で原始的なやり方で、この世界に似つかわしい生物的なフォルムの住み家を作り上げているのではないかと考えたのです。シロアリの蟻塚をヒントに、VR造形ツール「Medium」を用いて仮想空間で「塚」を捏ね上げていく作業は、とても想像力を刺激されるものでした。
これまで述べてきたように、『KIN―マイコシーン』で描かれる風景や都市などのデザインは、単なる物語の背景ではありません。『KIN』ユニバースの生態環境を描く背景こそ、ある意味では物語の中心だと考えています。
今回の連載では、デザインを描き出すに至った過程や思考、ツールなどについて、皆様に少しでも伝われば幸いです。
(2) How to create cinematic cityscapes, Gumroad
(3) Biotechnology, National Center for Biotechnology Information
(4) KitBash 3D