
『KIN』のプリプロダクションを語る前回の記事では、バイオパンクをテーマにしたアートブック『KIN―マイコシーン』の環境デザインや環境コンセプトについてご紹介しました。今回は、キャラクターデザインについてご紹介します。
『KIN』の世界を描いていくなかで、キャラクターデザインは最も困難で、かつやりがいのある作業でした。私たちの脳は、目にする生き物、特に人間に対して、潜在意識化で事細かに分析しています。それはとても細かい部分にまで及び、時には無意識化で違和感を処理しきれず、心に引っ掛かりが残り続けることもあります。『KIN』というバイオパンクの世界にふさわしく、しかも説得力のあるキャラクターをデザインするには、何度もの調整し、数多くの課題を解決しなければなりませんでした。
ラフター
『KIN―マイコシーン』には、物語を語る3人の主人公が登場します。彼らは、かつて国際独立生物学研究所と呼ばれていた施設に所属していた多国籍科学者グループの子孫たちです。「Wi-Flu」のパンデミック以後、国際独立生物学研究所は「ラフト」と呼ばれるようになりました。「ラフト」は太平洋に浮かぶ現代技術の最後の砦であり、「ラフター」はそこで生まれたのです。
レイン
『KIN―マイコシーン』のキャラクターデザインは、主人公の一人であり、30代の微生物学者で生化学者であるレインのデザインから始まりました。彼はこの世界の観察者であり、地球上の生命が辿った進化の道程に興味をもつ科学者です。「ラフト」の騒々しさよりも深海の静けさを好み、「ラフト」にある数多い研究室の一つで、検査やバイオハッキングの実験に時間を費やしています。
キャラクターをデザインするためには、まず詳細なキャラクター指示書を作成することから始まりました。世界観やストーリーの必要性に基づき、そのキャラクターの参考画像や簡単なスケッチ、何がどう描かれるのかという指示などをまとめた資料です。私たちはチームで作業をするため、メンバー間の認識を共有し、無駄な作業をしないためにも、この設定資料は欠かせません。

キャラクターデザインは、ピエール・ラザレヴィクが主に担当しました。キャラクターのデザインに着手すると、まずはシルエットや装備を変えた様々なポーズをスケッチして、デザインの可能性を幅広く探っていきました。

デザインスケッチに対するチームからのフィードバックを受けつつ、詳細な線画へと進みます。線画デザインを起こすにあたり、一番科学的な説得力のあるスケッチをベースに角張った直線的なデザインを有機的な形状に変更し、デザインを磨き上げていきました。有機的な形状のジョイントや空気捕集装置、頑丈なバッテリーパック、持ち運び可能な実験器具と収納ユニット、藻類から生成される酸素を呼吸するマスクなど、何度もデザインを描いては調整し、正面と背後、両方から見た時のデザインを明確にしていきました。

『KIN』のキャラクターデザインにおけるアートスタイルを確立するため、着色もまたもう一つの挑戦でした。最初のいくつかの配色はあまりに整いすぎて、きれいすぎました。社会インフラや先端技術が途絶えてしまった『KIN』の世界では、必要な物を自分で作り自分で修理することが欠かせません。そこで手作り感や使い込んだ感が伝わるように、レインのカラーパレットを調整しました。

レインというキャラクターコンセプトにあったレンダリングも、なかなかふさわしいものが見つらず、時間がかかってしまいました。最終的にピエールは、リチャード・ライオンズ氏の線画描写からインスピレーションを受け、細い直線的な描線とボリュームを示唆する描線を組み合わせました。そこにフォトバッシュしたテクスチャーとオーバーペイントのパスを重ね、私たちの環境デザインに合わせて調整しました。

エル
レインの次に、20代のコンピューターエンジニアでアーキビストでもあるエルを紹介しましょう。エルは干渉主義的な思考の持ち主です。彼女はパンデミック前の社会に憧れており、それを取り戻すために「ラフト」が積極的に関与すべきだと考えています。また、彼女は「ラフト」という共同体とは相反する生き方を貫いています。基本的に「ラフト」に生きる人々は様々なものを共有し、集団生活を行っていますが、彼女は結婚してパートナーを独占し、同じような考え方を持つ友人たちと固まっています。これは海に浮かぶ共同体において時代錯誤な考え方です。
彼女をデザインする作業はとても楽しいものでした。レインのデザインで確立されたワークフローに則り、まずはキャラクター指示書を作成、つづいてポーズスケッチを描いていきます。彼女のポーズはファッション誌のモデルを参考とし、エルが憧れる21世紀へのノスタルジーを表現しました。

エルのディテールを整えるにあたっては、彼女の装備のデザインにも時間をかけました。手にしているのは、彼女が自分でつくったガジェットで、2160年代ではとっくに骨董品となった21世紀のコンピューターやスマートフォンのパーツを組み合わせて作られています。また、持ち運び可能な風力発電機や、バックパックに搭載された有機物のソーラーパネルなど、電力関連の要素もデザインに盛り込みました。このデザイン作業を通して、『KIN』の世界における再生可能エネルギーはどうなっているか、私たちも世界の背景をより深く考えることができました。

そこで主人公ひとりひとりのポートレートを作成してみましたが、これも興味深い作業でした。表情をアップで描くことで彼らの感情面を探ることができたのです。同時に、キャラクターへの思い入れもさらに深まりました。

色彩面では、赤を基調とした類似色相配色を使い、青の補色を加えることで、彼女の力強く自立した個性を表現することにしました。

ナオ
続いてナオを紹介しましょう。40代の彼女は、「ラフト」の操作やメンテナンスを担うクルーです。ナオをはじめ「ラフト」の航海士たちは、何世代にもわたってアップデートされてきた特殊な遺伝子を受け継いでいます。人類最後の砦である「ラフト」の管理人にふさわしく、遺伝子工学によって精神的にも肉体的にも常人を上回る能力を持つ彼女は、未来の人類が新しい世界に適応できるように、より積極的、かつ広範囲にわたって人類の遺伝子を改造すべきだと考えています。
彼女の威厳のある存在感、逞しい体、制服のような服装に注力して、ポーズスケッチを行いました。レインやエルといったこれまでのカジュアルなデザインとは対照的です。

続く作業では、生物学的な素材を用いたスーツのデザインやディテールに取り掛かりました。デザイナーであり研究者でもあるネリ・オックスマン (1) が実際に取り組んだ実験プロジェクトからインスピレーションを得ました。また、メビウスのような巨匠の作品には有機的な線や形がふんだんに使われており、それらもデザインの参考にしました。
微生物が大好きなレインがグリーン系、短気なエルがレッド系。これに対し、ナオはブルー系の配色です。この色には、知性、忠誠心、安定性を印象づける特徴もあり、まさに彼女にふさわしいカラーといえるでしょう。

ミラードッグ
人物だけではありません。バイオテクノロジー研究の最先端である「ラフト」だからこそ生まれた新たな生物もデザインしました。ミラードッグはラバほどの大きさの合成生物であり、あらゆる自然のウイルスや病原体に対する免疫を持っています (2)。「ラフト」の研究者たちは、病の危険の高い地上環境で探検隊の装備を輸送するため、ミラードッグを生み出しました。ミラードッグには体毛が生えておらず、その皮膚で光合成をおこなうことができます。1日に必要なエネルギーの大半を光合成でまかなうことができますが、しかしそれだけでは十分ではなく、人工的に作られた藍藻による栄養素を食事で補わなければなりません。
ミラードッグをデザインするころには、作業のワークフローはすでに固まっていましたが、ミラードッグのデザインでは新しいやり方を試みました。たまには新しいことに挑戦するのも楽しいものです。この巨大な犬をデザインするにあたって、ピエールはフォトバッシュでスケッチを簡単にまとめた後、「Zbrush」で筋肉のシルエットを造形しました。体に巻いたハーネスを「Medium」で作り、「Blender」によるキットバッシュで荷物を作って、ミラードッグに背負わせました。

最終的なレンダリング画像を「Photoshop」でペイントし、ミラードッグの特徴的な皮膚を表現。デザインにより詳細なディテールを加えました。

ランダー
3人のラフターとその仲間であるミラードッグのデザインがある程度固まったところで、彼らが旅の途中で出会う人間たちのデザインを始めました。彼らは、ラフターとはまったく異なる人類の生き残りです。彼らの祖先は「Wi-Flu」のパンデミックから生き延びた数少ない人たちであり、突然変異する世界に適応するために様々な戦略を採用しなければなりませんでした。
カイクー
10代後半の若い狩猟採集民、カイクーもその一人です。カイクーはいつ滅びてもおかしくない孤立した一族の出身です。一族が子孫を作り、生き延びていくためには、近親交配と、稀に出会う外部の人間から新たな遺伝子を受け入れるしかありません。数々の問題はありますが、そうやって彼らの生存に不可欠な希少な生理学的適応が維持されてきました。そして周囲を取り巻く様々な生命に深い愛情を注ぐ明るいキャラクターであることも、カイクーの特徴です。
カイクーは、レインやナオと同じワークフローでデザインを進めました。手足の長さ、指の数、肋骨の長さなどといったアンバランスな解剖学的特徴を組み合わせて、先天的な問題を抱えていることを表現しています。さらにポージングや表情などで、明るく親しみやすい印象を加えています。

彼の身に着ける衣服や持ち物は、産業文明の遺物や残骸を拾い集める生活というコンセプトでデザインしました。おそらく彼が身に着けている物のなかには、代々受け継がれてきた先祖の形見なども含まれているでしょう。また、家族や生き物を大切にするカイクーの気持ちが、素朴なタトゥーに表れています。

ホワイトシスターズ
長い道のりだったキャラクターデザインの最後に紹介するのは、ホワイトシスターズです。彼女たちは単為生殖が可能で、地下に住み、キノコを育て、素朴な生化学者でもあります。100年前の単一の祖先から、誰もが等しく同じ変異遺伝子を受け継いでいますが、エピジェネティクスを利用することで3種類の姿に分かれています。女王アリや働きアリのように、コミュニティのなかで明確な役割に分かたれ、外見や身体構造までもがその役割に適合しています。ホワイトシスターズは、主に鋭く発達した嗅覚と外分泌器官を使って互いにコミュニケーションをとり、周囲を監視しています。
最初のスケッチでは、ホワイトシスターズの原案である「シロアリ女」のイメージが強く出すぎてしまい、他のデザインと並べると少し荒唐無稽になりすぎてしまいました。

初期スケッチを捨て、改めてホワイトシスターズのデザインコンセプトを練り直し、キャラクター指示書をまとめなおしました。新たな試みとして、彼女たちの変容してしまった体にリアリティをもたせられるよう、解剖学的にも納得できる表現を目指しました。具体的には、鼻を大きく描き、目を横に押し寄せて、嗅覚の鋭さを表現しました。彼女たちは情報伝達のためにホルモンを分泌しますが、腹部にある腺や器官を突き出すことでそれを表しています。さらに3つの社会階級にあわせて体格、筋肉量、腺の大きさを変化させ、デザインを完成させました。これはカイクーのデザインとはまた異なるアプローチでした。

『KIN』ユニバースの住人たちについては、まだまだご紹介したいことがたくさんあり、話の種は尽きません。今回はキャラクターデザインの一部をご紹介しました。バイオパンクを描く『KIN―マイコシーン』には、どんな人々や生き物たちがふさわしいのか。合成生物学を踏まえて考えた設定やデザインが、少しでも皆様に伝わりましたら幸いです。
(1) ネリ・オックスマン
(2) 遺伝学者であるジョージ・チャーチの著書『リジェネシス』の第一章では、分子の掌性(chirality:キラリティ)という概念と、鏡像生命(mirror life:ミラーライフ)を創造する可能性とが、鮮やかに描き出されています。