
『KIN』の制作過程をご紹介するこの連載ですが、今回はプリプロダクションの締めくくりとして、プロップデザインをご紹介します。
SF小説や映画、ゲームには、超光速の宇宙船やレーザー銃、パワードスーツなどが数多く登場します。私たちジャングルクロウスタジオは、『KIN』ユニバースを描くにあたり、現代のようにグローバル化した市場経済に依存しない「ラフト」のように自立した自給自足のコミュニティにおいて、技術に精通した科学者たちが作り出すであろう道具類や装備品、交通手段がどのようになるかを考えました。
「Wi-Flu」のパンデミック後、ラフターはバイオテクノロジーの利用を進め、自給自足の生活と科学を研究し続ける技術や体制を構築しました。無機物や工業資源は使えるものは再利用し、そうでないものもリサイクルして可能な限り有効活用。また有機化合物については、海上の研究施設である「ラフト」のなかで人工培養から採取したり合成できるようにしたのです。遺伝学や生化学に精通しているラフターは、シリコンやレアアースに依存した現代のコンピューターから、細胞やDNAをベースにした情報技術を開発しました。エネルギー面では、太陽エネルギー、風力エネルギー、潮力エネルギーなどの再生可能エネルギーを利用しています。
このソーラーパンク的な技術体系を前提として、私たちは「100人の遠征隊が、未知の生命体に覆われた荒野を3ヶ月間生き延びるためには何が必要か」というシチュエーションを思い浮かべました。その問いに答えるべく、小道具のデザインを始めたのです。
サバイバル装備
プロップデザインにおいては、ピエール・ラザレヴィクが、『KIN』の世界観にふさわしく、リアリティあふれるデザインを描いてくれました。チームのメンバーたちの多大な協力とともに制作したサバイバル装備をご紹介しましょう。
私たちのプロップデザインの核になる部分ですので、サバイバルにおける「3の法則」に沿ってご紹介していきます。 (1)
空気
3の法則「空気(酸素)なしでは3分間」
『KIN』の世界では、菌類の胞子やその他の未知の病原体で空気が汚染されているため屋外では大気を呼吸すること自体が大きな危険をはらみます。ではそのような世界で安全に呼吸するためにはどうするべきでしょう。

現実の防護服を参考にしながら、最初は登山用ポンチョのようなコンセプトからアイデアを膨らませました。デザインや必要な要素を検討していく中で、やがて上半身は加圧された「バブル」に包まれ、一方で足はポンチョに覆われておらず、険しい地形でも歩きやすそうなデザインとなりました。どこか懐かしいレトロな宇宙服を思わせるデザインが気に入っています。

ハーネスには、電池式の小型エアポンプとフィルターカートリッジが収納されており、手作り感を表現しています。このスーツは上半身が加圧された「バブル」に包まれているため、その状態でどうやってバックパックを背負うのかが大きな問題となりました。いろいろ検討した結果、両肩にストラップを通すための「トンネル」のようなものをデザインすることで解決しました。

サバイバルスーツが壊れて膨らまなくなった時のことも考えなければなりません。そうなったときの予備の装備として、ゴーグルとマスクをデザインしました。マスクのフィルターカートリッジは、サバイバルスーツと同じものが使われています。ラフターの装備デザインには、汎用性やモジュール性をもたせたかったのです。
シェルター
3の法則「保温(体温保持)なしでは3時間」
『KIN』世界の過酷な自然環境下で体温を維持するために、サバイバルスーツを脱いだ時でも環境から身を守るシェルターが必要です。
海洋建築物における浮遊構造をヒントに、モジュール式のシェルターシステムをデザインしました。このシェルターシステムは、太陽光や温度、湿度、風雨などの自然環境に対して耐候性を持つ天幕(フライシート)と、外気を遮断する内張(インナーシート)の二重構造になっています。フライシートは地面に固定され、空気より軽いガスと光を出すバクテリアが詰まったバルーンによって地上から持ち上げられています。フライシートは「Blender」上の3DCGで物理的な構造をテストし、シワをリアルに描いています。

このシェルターシステムは、本当に実用性があるのかどうか。「Medium」で様々な地形のバリエーションを描き、3D空間内でシェルターを配置して、実際に様々な地形に対応できるシェルターであることを確かめました。

今回のプロップデザインにおいては、「100人の遠征隊が、未知の生命体に覆われた荒野を3ヶ月間生き延びるためには何が必要か」が出発点であり、このシェルターシステムもそのためのデザインです。100人の遠征隊を守るシェルターシステムには、それなりの規模や機能性が求められます。中央の大きなシェルターは共同スペースとなり、その周りの小さなシェルターは、チームごとのプライベート空間を想定しています。空調や水回り、インナーテントに接続する車輪付きのACユニットなど、細部までデザインしました。

水
3の法則「水(飲水)なしでは3日間」
人が生きるためには当然、水分が必要です。しかし100人の遠征隊が90日間で必要とする水分を、人間が肩に担いで運ぶのは非現実的です。そこで私たちは、遠征隊が全ての飲用水を運ばずともいいように、現地で水を集め、溜め、濾過することができるような装備をデザインしました。様々な状況に対応できるようモジュール性を重視し、水タンクやパイプ、浄水ストローなどの給水システムをデザインしたのです。

浄水ストローのデザインは現実の登山装備を参考としました。水を除菌するためのUVライトと不純物を取り除くフィルターが取り付けられており、これによって飲用可能になった水をタンクに溜め、飲むことができます。また、応急的なバイオリアクターとしても使用することができます。

食料やそのほか
3の法則「食糧(摂食)なしでは3週間」
『KIN』の世界では、100人の遠征隊が必要とする食料を狩猟や採取などで手に入れることはできません。遠征隊が持参した携行食を食べ切ってしまった後でも必要なカロリーや栄養を摂取できるよう、「ラフト」のバイオテクノロジーを用いて口にするものをする生成する装備も必要です。

私たちは、サバイバル装備に不足がないようアイテム一覧をリストアップし、さらにそれらに統一感をもたせてデザインしました。『KIN』の世界を探索する遠征隊に必要な装備一式をそろえたのです。
研究調査機器
遠征隊は、ラフターは「ラフト」に替わる人類の新しい住み家を求めて陸に上陸します。見つけた場所が人類にふさわしいのかどうかは徹底的に調査しなければならず、そのためにラフターたちは様々な調査機器を携えています。「ラフト」はバイオテクノロジーの研究施設であるという背景から、現代のバイオハッカーや生物学研究室で見られる象徴的なアイテムをベースにプロップデザインをおこしました。
ピペットスティック
これはチーム内で「ピペットスティック」と呼んでいる器具で、屋外でサンプルを採取するための多目的ツールです。電気ドリルと掃除機を混ぜたような形をしていますが、まさにその通りの機能を備えています。

ピペットスティックは、『KIN』のプロップのなかでも、オリジナリティの強いデザインのひとつです。ピエールは、まずいくつかのシンプルな2Dデザインをおこし、それを大まかな3DCGをモデリング、そこから詳細を詰めていきました。

さまざまな素材を採取するため、ピペットスティックの吸い込み口にもバリエーションをもたせました。ピペットスティックの横に備わる試験管に、サンプルが直接取り込まれるイメージです。
携帯用クリーンベン
採取したサンプルを分析するための機器も必要です。分析の最初のステップでは、生物学者たちがクリーンベンチを用い、採取したサンプルを安全で無埃無菌の環境で取り扱います。これは携帯用のクリーンベンチのデザインです。

このクリーンベンチは、携帯可能であることが必須でした。いくつかのデザインを試し、その中で最も実用的だと思われる案を採用しました。

携帯用クリーンベンチは、その大部分が再生プラスチックを想定したデザインとなっています。人工的な工業資源を可能な限りリサイクルする「ラフト」らしいデザインです。
DNAリーダー
サンプル分析の第二段階は、まさに分析そのものです。分析には、ラフターのDNAを利用したバイオコンピューターが用いられます。
私たちは、『ブレードランナー2049』を手がけたマイク・ヒルのようなプロップデザイナーから、インスピレーションを得ました。小さくレトロな画面、浮かび上がるホログラフィックのインターフェース、シルエットの表現などは、『KIN』ユニバースを生み出すきっかけとなった様々なサイバーパンク作品へのオマージュでもあります。

このDNAリーダーも、素材としてリサイクルされた3Dプリントのプラスチックが使われています。このイラストで、両の手の間と横にあるガラスのような板は、交換可能なバイオチップで、DNAを超高速で読み書きしたり、編集したりすることができます。生化学的な操作を行う携帯型の実験室です。
移動手段
プロップデザインの最後に、私たちがデザインした各種の乗り物をご紹介しましょう。遠征や探検といえば移動手段が重要です。
シャトルボート
クラウス・ピヨンは、「ラフト」のデザインに続いて遠征隊を運ぶシャトルボートのデザインに取り組みました。このボートは「ラフト」を出発した隊員たちを、日本列島の南端にある上陸地点まで運ばなければなりません。船体デザインに加え、化石燃料に替わる推進機関を組み合わせ、様々なデザインを描き起こしました。

最終的にまとまったデザインは、クラウスが「Blender」を用いて3DCGとしてモデリングしました。この後の工程で制作しやすくするためです。もとは沈没していた船を引き上げたものであることを表現するため、比較的シンプルな船型に落ち着きました。ボートの安定性を高める左右の船体は、明らかに元の船に追加されたものだとわかります。三つの船体をつなぐ甲板は太陽エネルギーを取り込む藻類の培養液で覆われています。この藻は、緊急時の食料にもなります。この船は寺尾豊の双胴船 (2) をヒントに、格納式の帆とフィンによって、風と波の力で進むようになっています。

小型ボート
探検中のラフターが狭い海峡や川、湖などを渡るため、ピエール・ラザレヴィクが小さなボートをデザインしました。この小型ボートは、折りたたみ式の救命ボートをもとにデザインされています。

いくつか手描きデザインを試したのち、ボートを折りたたむラインをよりダイナミックで有機的なものに変えてブラッシュアップしました。

運搬カート
上陸した遠征隊は、数トンもの装備をもって、何千キロもの距離を移動しなければなりません。以前紹介したミラードッグはそのために開発された合成生物ですが、そればかりに頼るわけにはいきません。荷物を運ぶための一人で扱える器具もあるべきだと考え、この運搬カートをデザインしました。同じ「ラフト」製であるため、基本的なデザインがミラードッグのハーネスと共通しています。

ピエールは「Blender」で3Dモデルを作り、それを2Dでブラッシュアップした後、また「Blender」に戻ってアセットを完成させました。最終的な3Dアセットにすることで、様々な場面で効率的に素材を使うことができます。

運搬カートの最終コンセプトでは、小型の電気モーターを搭載し、形を変えられる耐パンクタイヤを備え、信頼性の高いデザインとなりました。
「キメラ号!」
これまでバイオパンクや再生テクノロジーについて語ってきた『KIN』の世界には不似合いかもしれませんが、旧来の自動車もデザインしています。 劇中、主人公たちがどうやってこの車を手に入れるかはさておき、この骨董品のようなテクノロジーについて紹介しましょう。
自動車は膨大な部品点数による複雑な構造をしています。できるかぎりリアリティのあるものとするべく、日本の歴史的な名車「ダットサン510」の3Dモデルをベースとしました。2161年の荒廃した日本を走っていてもおかしくないよう、いくつかの改造パーツを「Blender」上で追加しました。

この世界にあうよう、いくつかの改造が施されています。ラジエーターを追加し、強化されたサスペンションによって車高が高くなっています。また耐パンク性をもつ全地形タイヤ(オールテレーンタイヤ)を守るように泥除けが外付けされ、さらにヘッドライトも壊れていたり外れていたりします。「Substance Painter」を使って錆や汚れの質感を施したほか、日本のナンバープレートやストリートアート風の落書きなど、細部までデザインしています。

これまで『KIN―マイコシーン』のプリプロダクションを5回に分けてご紹介してきましたが、作品の世界観や、制作プロセス、ツールや技術、そしてチームでデザインするためのワークフローについてご理解いただけましたでしょうか。次回はいよいよ制作に入ります。
(1) 人の生存の目安 "rule of threes"(3の法則)